アーカイブ | 2017年2月8日

印鑑屋で注文してみた

ギリギリまで隠したサプライズの演出方法にしても、そうしたギミック的手法で
日頃から何とか視聴率を稼ごうとして来た民放のテレビマンが、
こと対岸のNHKに対してよくもそんなことが言えたものだな、という印象があるんであります。

受信料を取る、ある種 “国営的” 立場のNHKはもっとおごそかにすべし・・・・・
というのは、ある面では言える部分はありながら、経緯は別として
実態としてはもはやこの番組に関しては視聴率が命題で一つの物差しになり、
それが視聴者の関心事となってしまっている以上仕方のないことでもあり、
演出が進化していくのは避けて通れない所まで来ているのも事実なんだと思いますね。

その 『演出』 をやり過ぎだとするならば、
それを批判すべき矛先が間違っているのではないか、と。

それを現しているのがまさにこの部分で、それは、当の音楽関係者のこの発言。

>中堅プロダクションの幹部は「歌は世につれ歌につれ-と言われたころの紅白の姿は無かった。今日性が感じられなかった」と手厳しい。

この投稿は2017年2月8日に公開されました。

葛飾区で印鑑を揃えた

一方で、昨日のアメリカ支社長と今日のこの豊田社長の公聴会に際し、
アメリカの議会や国内世論の中で、
「トヨタ、また豊田社長自身はきちんと説明責任を果たしていない」
云々という論調がありますが・・・・・・・

この“説明責任”というヤツ、今回だけでなく日本国内でもかねてから事ある毎に
使われてますけど。。

この言葉、世の中においてどうも本来の意味合いと少しずれて捉えられているような
気がしてならないんですけども・・・・・・

直近でいけば、つい先だっての日本における小沢幹事長による政治資金規正法の件で
随分と馴染みのある言葉ですけど、
この言葉、額面通りに解釈するならば、当該案件における疑念などの不透明な部分を
極力多くの人に明快に説明する・・・・・ということではないかと思うんですが。

なのに、どうもその意味合いから逸脱し、結局はその案件自体の非を認めるか否かに
焦点が集まり、世論が望んでいるような「非」を素直に認めないと説明責任を果たしたことに
ならないという風潮にあるように思えてならず、それは説明責任ということとは
違うんじゃないかと思うんですけどねえ。

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